日本一の財政力指数の【飛島村】
飛島村は
人口(夜間人口)は約4400人に過ぎませんが、
昼間人口は約14,000人(夜間人口の約3倍)になります。
飛島村はかつて貧しい村で
戦前から数度市町村合併をしようとしましたが相手自治体から毎回拒否さました、
太平洋戦争下で軍部の命令により、
燈火管制を敷いている名古屋市の工場が攻撃される事を防ぐため、
飛島村の田や畑に裸電球を燈して大都市を装うことで
戦争の矢面に立つことを余儀なくされ空襲による犠牲者も多かったそうです。
伊勢湾台風では高潮被害などで130名の犠牲者を出し、
村長が県・国に数度対策を哀願するも、
財政力の弱さから、復旧は最後で被災から2ヶ月後まで水が引かなかったそうです。
当時、村民の流出も相次ぎ、1960年時点では、財政力指数は0.22。
しかし、1962年から伊勢湾岸の埋め立てが行われ、
33万平方メートルの貯木場が完成し、行政権は飛島村になり、
さらに造船鉄鋼産業地も飛島村に属し、次第に裕福な村へと変貌し
財政力指数は2.21です。